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「プレイバツク・シアターへのお誘い」

1999.9.24:コラム…「CHRニュース」Vol.4より

●プレイバツク・シアターへのお誘い

毎年、何度かプレイバック・シアターのご案内をしていますが、まだ一度も参加したことのない人は、是非チャレンジしてみてください。

多くの人が「恥ずかしい」と躊躇されますが、その気持ちは私もとてもよくわかります。 私も何度かお誘いを頂いたのですが、パンフレットを見ただけで、「これは私向きではない」とすぐ捨てていました。それがある時「なんだかわからないけど出てみようかしら」と、私にとってはかなりの勇気を持って申し込みをしたのですが、それ以来すっかりはまってしまいました。


●プレイバック・シアター初体験の思い出

1989年の秋、場所は箱根のあるホテルでした。
社会産業教育研究所主催のワークショップにたった一人で参加しました。
20数名のグループメンバーの内、知っているのは一度研究会でお会いした一人の男性のみ。スタッフの知り合いも、申し込みに行った時にお会いした人のみ。
他の人々はお互い数人ずつは知り合いのようで、和やかに話しあっていました。
その中で声をかけられる事もなく一人ポツンといたのが私です。

そして、いよいよワークショップがスタートしましたが、やはりそれは私にとってはとても恥ずかしいことでした。ところがだんだんと打ち解けていろいろな場面が展開するに従い、私はある場面でハッと気づいたのです。

「恥ずかしいと思っているのは私だけではなさそうだ。でもその人たちを見ても決して恥ずべき事をしているわけではない。みんな一所懸命だし私から見ると素晴らしく見える。そうだ、恥ずかしいと思うのは私がそう感じるだけで他人はなんとも感じていないのだ。私の中にある他人の目を気にする部分、恥をかきたくない部分が反応しているに過ぎない」ということをはっきりと意識したのです。

 その後は本当に心から楽しめました。
バカになる心地よさも味わいましたし、知らない人ばかりでしたが、みんなからすっかり受け入れられている喜びも体験できました。そして何より、プレイバック・シアターの創始者であるジョナサン・フォックスの人柄にすっかり惚れきってしまい、以降毎年欠かさず参加するようになったのです。


●大切な心の温泉

プレイバック・シアターを説明する時、私はよく「心の温泉」に喩えます。

ある人の人生の一場面を聴いて、役をもらった人が即興でその場面を演じて、語った人にプレゼントをするのですが、ある時はおなかを抱えて大笑いをし、またある時はみんなで共感の涙を流し、深いところでの結びつきを実感します。

ある年のこと、その日はちょうど"ハロウィン"でした。ジョナサンの提案で、夜のセッションはグループ毎にテーマパークをすることになったのです。
一つは大ヒットしていた「ジュラシックパーク」そして「お化け屋敷」と「花園」でした。それぞれ5〜6人のメンバーが相談をする時間もそこそこに、とりあえずその場にあるものを使ってそれらしく会場を設営し、他のグループの人たちを招待するというものでした。

企業の教育担当者や管理者、カウンセラー、研修講師などが中心のメンバーです。
いい年をした男女がすっかり子どもに戻って、おおはしゃぎしたことは、何年たっても鮮やかに思い出され、今でもみんなの語り草となっています。

 毎年参加する度にエネルギーをもらえますので、プレイバック・シアターは私の人生に無くてはならない大切な存在になっています。


●ワークショップをスタート

2年目には杉渓一言先生をお誘いし、その2年後から二人でCHR研究所主催のワークショップを始めましたが、国内では私たちが第1号でした。

それ以来毎年開いていますが、ここ数年は愛好者で作っているグループ「OKランド・カンパニー」主催として、ボランティアで行っています。

仕事としては、保育園の職員研修やカウンセリングの勉強グループなどから声をかけられ、地方にも行くようになりました。
9月初めには沖縄の友人から招かれ、40名の大グループで合宿をしました。
沖縄独特の文化を背景にさまざまなストーリーが語られ、とても楽しく意味深いワークショップとなり、来年も是非にと言われています。

福岡でも7月の第1回に続いて12月に再度行います。
仙台のグループからもお声がかかり、プレイバックを広めたい夢が実現されつつあります。

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