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「母の日雑感」

1994.05.10:コラム…「えがお通信」第8号より

 長いゴールデン・ウイークの最後は母の日で、店先のカーネーションも一段と誇らしそうでした。この母の日のプレゼントの話題はここ数日CHRに集まった人々の間でにぎわいました。ある人はものであったり、ある人は食事作りなど家事労働であったりして、語る人はそれぞれ嬉しそうでした。

 私も三人の息子の母親として彼らがどうするのか楽しみに様子を見ておりましたが、いつのまにか三人で相談をしたらしく彼らは思いがけないプレゼントを考えついたのです。

 私はその日相変わらず山積している仕事のため研究所に出ていましたが、夕食には三人ともいるというので、早めに帰り、買物をして来て夕食の仕度をしました。夕寝をしていた長男と三男が起き、一人住まいをしている次男が帰って来たのは、すっかり仕度が整ってからでした。内心で「何が母の日よ。手伝いもしないで」と思ったことも事実です。

 そして賑やかに食事が始まり、少し多過ぎたかなと思うほどの食べ物がきれいになくなって、みんなが満足した後に登場したのが、きれいなカーネーションの鉢植えでした。そしていった言葉が「どう?母親の気分を堪能した?三人が揃う事はこれから何回あるかわからないんだよ」と。これが彼らの計画した私へのプレゼントでした。

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 ゴールデン・ウイークの初め頃、久しぶりに三人が夕食に揃うという珍しい1日がありました。買物に行く足取りも軽く、それぞれの好物を頭に描きながらあれこれ選び、両腕に重い袋をぶらさげて、昔はいつもこうだったなぁとなつかしく思い出しながら、自然と表情もゆるんで参りました。

 テーブルにいっぱい並べた器の中が、ものの見事になくなって、昔はなかったビールの空き缶も一杯になった頃「お母さん、久しぶりに母親らしい事をして幸せでしょう」と口々に言いましたが、それは本当にその通りで、これぞ母の喜びと思いました。その時の私の気持ちがわかったのでしょう。

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 子育て中は家族のための主婦業を第一に考え、時間をやりくりしながら自分自身の仕事をしていましたので、同業者の男性を見て本当にうらやましく思っていました。現在、主婦業より自分のために使える時間が圧倒的に多くなって、仕事の面では充実していますが、何か物足りなさを感じることも事実です。

 主婦業で忙しかった頃には感じることができませんでしたが、そうした日々は私にとって実はとても大切な宝だったんだと今になって実感しております。

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 私は、「母の日」に引き出しの奥から1枚の絵を取り出して、息子たちに見せました。それは三男が小学校の低学年の頃に書いたものです。

 毎年、お兄ちゃんたちは忘れても必ずカーネーションをプレゼントしてくれる子でした。ある年夜になって、忘れていたのを思い出しすっかしりショゲていました。部屋にこもって何をしているのかと思っていると、「はい。プレゼント」といって持ってきたのが、くだんの絵だったのです。

「おかあさん、いつまでもながいきしてください」とカーネーションの絵に添えて書いてありました。何度も消した後がはっきりわかるその絵が捨てがたく、私だけに価値のある宝物となりました。

これは母親だけが味わえる幸せでしょうね。

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